バリ島全般

愉しい物語(マンダラ)

マンダラ
どこか吹く風、
風に揺れる稲穂、風に乗って流れる音楽、みんなの笑い声、
ずっと変わらないバリのこの姿が、自分の中に流れる。
世界の楽園にいる幸せを噛みしめる。

人々の関係が丸くあり、自然の流れも廻ってる。神との繋がりを感じる祀りも、巡ってくる。
全てが丸く重なってゆく。

この稲穂の豊かさに感じ入り、心豊かに想う。
この風の美しさはどこからくるのだろう?

バリは、その仏教であり、原始宗教であり、全てが流れ着いたその果ての島である。潮の流れに乗って一番果ての島にたくさんの漂流物が流れ着くように、人類の叡智がきらきら宝石のように流れ着き輝いている。
そんな島である。

バリ島を20世紀の西洋の文化人類学者は、劇場国家ともいい、マンダラ国家ともいう。
全ての人がそれぞれの役割に生きて、ひとりひとりの生き方が役者のようでもあり、この王国の営みがひとつの劇のようになっているので、劇場国家。
また、そこにある哲学、あるいはそこで使われる小道具、大道具、細部にわたるまで、マンダラというとても合理的な論理、幾何学で構成されている。

それらは、生活の中に根付いていて、日頃は意識されないでいる。

例えば、儀式に使うお供えも、全てがマンダラを表現し、その儀式の種類によって大きいマンダラ、小さいマンダラなど、それにふさわしい美的に哲学的にあう表現をする。
その幾何学的な形もその根本の意味、哲学を知っていて、そこで作る図形に意味を与え、それにふさわしい表現で行う。
三角形がふたつまじわると、6角形になる。四角形が二つ交わると、八角形になる。
それを三次元で捉え、最終的には球で考える。

たとえばオスとメス、上下、右と左、など隠陽がまじわれば、そこに風が起きる、すなわち命が吹き込まれる事を知っていて、それを神が降りたといい、それらを何か新しい風、命を吹き込む時の媒体として使う。

また、隠と陽、あるいは三角形や四角形が合体し、それらが交わるところには宇宙の秘密が起こってくる。命が吹き込まれる事を知って、その根本的な図形表現を生活の中に作り、取り込んでゆく。。
それを、マンダラという。

日々バリ人が作るお供え物も、儀式に使うお供え物も全て、その幾何学の組む合わせで表現され、そこから起こって来たそれぞれの命を神の名前に置き換え、それらをそれにふさわしい色で表現する。とても美しいお供え物ができあがる。
または、バリ料理の中もその考えが根底にある。
バリ料理の調味料を作る場合、材料の取り寄せ具合や場合によってかえるが、三角形、四角形、八角形というふうにそこの定点にふさわしい材料を置く。最終的には、八角形で中心を入れて、9つの材料が基本となる。
そこには、お供えを作るときと同じ哲学とやり方で、味のバランスを整え、それぞれ材料の役割をうまく調合して体を助ける働きを増進させる。

そういうバリのマンダラは、人々の社会や生き方にも反映されている。
マンダラは丸である。

バリ人は怒らないことを理想とし、皆と助け合い、豊かな文化と自然と人が
共存共生する里をつくっている。
自然と共存した循環型社会、皆で運営する水利組合(スバック)、祭礼を中心とした共生社会、これらは皆丸く回り巡ってくるというマンダラ表現される。
そこに生きる人たちは、皆、平和で豊かな社会を享受することができる。
稲作を営み、その豊かな恵みによって社会は豊かになりそこに文化が生まれる。その文化を享受しながら、皆が平和に神と自然と隣人に感謝しながら生きる人間の理想の生活がある。

そのような社会の縮図を、私たちはバリ島文化の発祥の地であるMAS村にBIDADARI MANDALAという形で表現しようとしている。
そこでは、食とアートと工芸とバリ建築を一緒に見ることができる。
また、そこでは、誰でもがバリ料理を食べ、勉強し、自分のアートを展示し、バリ伝統的アートや工芸も見ることができる。
また、それらの中心には祈りの場所があり、その周りではヨガや瞑想、リトリートなども行える。地域のコミュニティと他からのコミュニティをつなぐ役割をしている。
そして、バリ伝統的社会の縮図を世界に提示し、助け合いや共存の精神を世界に伝えようと願っている。家族や地域の平和を祈り、世界の平和を祈ることをつたえようとしている。
この世界がますます複雑に余裕をなくしていく中、その幸せの島のあり方は必ず世界に気づきを与えたり、一緒に他の国の地域とも一緒に助け合って支え合ったりしていけるものだと信じている。

私たちは、バリ社会の中で生み出された芸術や工芸をさらに変化させ、他の国にも必要な工芸や作品を生み出している。
そのひとつに、日本の寺院の本堂にの安置される美術工芸彫刻品を製作している。
日本のその寺の独自性を見極め、その寺にあった図案を作るのだけれど、バリ島の文化やその哲学は、それらの独自の図案をつくるのにとても良い参考になり、それとその寺の歴史と個性をミックスさせて図案を作る。

たとえば、九州の長崎に一乗院という寺があるが、そこはもともとブッダの悟ったといわれるブッダガヤ菩提樹の子孫が植えてある。
それで、その菩提樹の元に神々が集い、その下に人間(檀家の方々)があつまるという図案で、バリ人が日本のその寺のための多重彫りの欄間を製作している。
その図案は、水と火が結びつき、そこに風が吹いて、神々と自然の中を龍神が立ち上がっているという図案を裏に彫り込んでいる。
表では、菩提樹の幸せの国を表現し、裏では、その哲学を表現した。
現代にあったそして、新しいものを作っていく場合は、その国にある伝統的なものだけではなく、新しい時代にあるその時代に流布するもの、形が違えども変わらないものを探し出して新しくミックスさせてゆく。
この図案の場合、その文化の共通に流れる哲学や文化に注目して共通点をさがし、それらの独自性をミックスしてコラボレーションさせていく。
その役目を果たすのに、バリ文化は日本文化と共通点が多く、また目指すところが同じでとても相性が良い。それは、それらの文化に奥に流れる重層的で、マンダラのような自然観や人間の関係性、仏教や などのの影響が大きいと思われる。

国や文化同士は、
そういうふうに、横のつながりで幸せの国どうし、支え合っていけるものと信じている。

その一乗院との縁が元で昨年、バリ人に尊敬されインドネシア独立戦争の英雄として祀られている荒木さんがたまたまその寺の檀家だったことが判明し、その新木さんを祀るスクリスクラ慰霊碑の前で、戦後70年初めてその住職と仲間の僧侶檀家が法要を行なった。
その村コミュニティも一緒になってのものだった。

そのようにひとつの工芸品をつくって人の縁が広がり、度々文化交流イベントを行なっている。
2009年には、バリ島の政府や観光局と日本の僧侶たちが中心となって行った曼荼羅祭をプロデュースした。
儀式と芸術の祭典であった。
2013年には、日本の震災からの復興を祈るpray for japan 祈りの祭典をおこなった。

ひとつの注文が、単なる売買を超えて、人々の絆、縁を紡いでいく例にいつも遭遇してきた。
このように、幸せの島の哲学は、人々をつなぎ、支えてゆく。
バリ島で生きるということは、それを実感できる。
そのバリの生き方を、文化的にとても似ていて、昔はそのように多くの人々が生きていた日本に、問いかけをできればと思う。

(文責:Hiromi Wada)

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